司馬遼太郎の小説を読む順番(幕末編)
椎名誠さんに続き、読みまくった小説家は、国民的作家ともいわれることが多い司馬遼太郎。
司馬遼太郎の作品のおすすめの読む順番も本当に勝手ながら解説したい。
司馬遼太郎は1923年生まれ。
産経新聞社記者時代に「梟の城」で直木賞を受賞。その後は「竜馬がゆく」「国盗り物語」「坂の上の雲」などの大ヒット作を生み出した。多くの作品がNHK大河ドラマなどで映像化もされている。1996年に亡くなる。
まず、これから司馬遼太郎の話を書いていきたいのだが、最初に断っておきたいことがある。
私は司馬遼太郎の作品は、あくまで“小説”だと認識している。
“小説”であって“史実”とは違うものだと思っている。
なので、歴史的に解釈が正しいかということは、問題にすることすら意味のないことで、あくまで“文学”だ。文学作品としての魅力として、話したいというのが、私の目的だ。
ただ、矛盾する話になってしまうのだが、司馬遼太郎の面白さは“小説”的なところでなく、“歴史観”的なところでもある。
(なので、小説的な側面が強い『竜馬がゆく』『燃えよ剣』はあまり好きではない。この2冊は多くのファンがいることはもちろん理解しているが…)
閑話休題。
歴史作家の司馬の作品は、おもに3つのカテゴリーに分けることができる。
まずは「竜馬がゆく」を代表とする幕末もの。
そして、その他の作品。とは言っても「項羽と劉邦」「空海の風景」くらいか。。。
今回は幕末作品の読む順番を解説したい。
まず、最初に読むべきは「世に棲む日日」。
前半は吉田松陰、後半は高杉晋作が主役。維新回転の中心的な存在であった長州藩について話が書かれている。
ちなみにこの作品を読むと、多くの人が井上馨が好きになる。
明治期の井上馨を知る人であれば、彼を悪の権化みたいな印象をもたれるが、本書の井上馨は人間的にとても愛おしく描かれている。主役の吉松松陰や高杉晋作よりも、その描かれ方は魅力的だ。
続いて長州藩を追うならば大村益次郎を描いた「花神」。
幕末全体の流れを知るならば、おなじみの「竜馬がゆく」だ。
そして明治初期のものでは、江藤新平の「歳月」と西郷隆盛を中心とした薩摩藩を描いた「翔ぶが如く」。
この2つの小説では両方とも、「征韓論」で意見が二分する会議の様子を描いている場面がある。
個人的には「飛ぶが如く」は司馬遼太郎の小説の中でもっとも好きな小説であり、NHKの大河ドラマにもなった人気作品である。
しかし、「征韓論」の会議の描写は「歳月」の方が個人的には好きだ。
征韓論の是非についての会議に参加したのは征韓論派が西郷隆盛、板垣退助、後藤象二郎、江藤新平、副島種臣。非征韓論派が三条実美、岩倉具視、大久保利通、大隈重信。
激論の末、一時休憩となったところで、征韓論派が席を立ち別室に移り、非征韓論派が、その場に残った。
その時の様子を司馬遼太郎は以下のように記している。
「倒幕から維新成立にかけてたがいにひとつの心で挺身してきたこれらの連中が、はじめて二つの党派にわかれたのはこの瞬間であったといっていい」
(「新装版 歳月(下)」講談社文庫)
「世に棲む日日」「花神」「竜馬がゆく」と幕末の司馬作品を読んできた方には、この司馬の書き方はぐっと心にくるものがあるのではないか。
黒船が日本に迫り、外敵からこの国を守るため、多くの人間が戦った。
その中で
吉田松陰が死んだ。
高杉晋作が死んだ。
坂本龍馬が死んだ。
中岡慎太郎が死んだ。
池田屋事件、禁門の変では長州藩の若き志士の吉田稔麿、久坂玄瑞、寺島忠三郎、入江九一らが死んだ。
寺田屋事件では薩摩藩の志士たちが同志討ちをした。西郷とともに薩摩藩の若手の中心人物だった有馬新七だ死んだ。
会議に出席したすべてのものが「多くの失った命の上に維新が成し遂げられた」ということについて感じるものがあっただろう。
「歳月」でのこの司馬の記した言葉をより深く感じるためには、ぜひ「世に棲む日日」からの一連の小説を先に読んでほしい。